大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

最高裁判所第一小法廷 昭和58年(オ)1542号 判決

主文

原判決中上告人敗訴部分を破棄する。

前項の部分につき本件を大阪高等裁判所に差し戻す。

理由

上告代理人中筋一朗、同益田哲生、同青山周、同山西克彦の上告理由第一点ないし第四点について

論旨は、要するに、上告会社と総評化学同盟日本シェーリング労働組合(以下「日シ労組」という。)との間で昭和五一年度以降毎年締結された各賃金引上げに関する協定中の、賃金引上げ対象者から前年の稼働率が八〇パーセント以下の者を除外するという趣旨の条項(以下「本件八〇パーセント条項」という。)を、全体として公序に反し無効であるとした原判決には、労働協約の効力及び労働者の各種権利等に関する法令の解釈適用を誤つた違法があり、また、理由齟齬、審理不尽の違法がある、というのである。

一  原審の確定した事実関係は、次のとおりである。

1  被上告人らは、上告会社の従業員であるか、又は従業員であつた者であり、いずれも日シ労組の組合員である。上告会社には、他に全日本シェーリング労働組合(以下「全日シ労組」という。)と、職場と生活を守る会なる組織がある。なお、日シ労組の組合員の多くは女子である。

2  上告会社は、昭和四九年度以降経営状況が良好でないことの一因が従業員の稼働状況にあるとの認識に基づき、稼働率を向上させるための方策を協約化することを企図し、昭和五一年四月一五日、各組合に対し同年度の賃金引上げ額を回答する際、本件八〇パーセント条項の受諾を求めた。これに対し日シ労組が、本件八〇パーセント条項における稼働率算定の基準等について説明を求めたところ、上告会社は、稼働率算定の基礎となる不就労に当たるものとして、欠勤、早退、年次有給休暇、生理休暇、産前産後の休業、組合活動に関する休暇を挙げたが、その余の原因による不就労の取扱いについては明らかにしなかつた。

3  全日シ労組は、まもなく、本件八〇パーセント条項を含む賃金引上げに関する協定を締結したが、日シ労組は、同条項を容認することはできないとして引き続き団体交渉を求めた。しかし、上告会社は本件八〇パーセント条項の協約化という既定方針を譲らず、同条項を含めて受諾するのでなければ賃金引上げの団体交渉にも応じないとの態度を続けたため、昭和五一年八月六日に至り、日シ労組は同条項を含む賃金引上げに関する協定を締結した。昭和五二年度ないし昭和五四年度の各賃金引上げ交渉においても、上告会社及び日シ労組の対応は右昭和五一年度の場合とほぼ同様であり、それぞれ、昭和五二年六月三〇日、昭和五三年四月二八日、昭和五四年四月二七日に、いずれの年度についても本件八〇パーセント条項を含む各賃金引上げに関する協定が締結された。

4  昭和五一年度の賃金引上げに関する協定の主な内容は、(1) 賃金引上げ率を昭和五〇年度の基本給に対し平均八・八パーセントとする、(2) 賃金引上げ対象者は妥結時在籍者とする、但し、雇員、アルバイト、昭和五一年一月一日以降入社した者、前年の稼働率八〇パーセント以下の者を除く(本件八〇パーセント条項)、(3) 新賃金は妥結した月より適用する、というものであり、昭和五二年度ないし昭和五四年度の各賃金引上げに関する協定の内容も、前年度の基本給に対する賃金引上げ率がそれぞれ平均一〇パーセント、八パーセント、八・六パーセントであるほか、昭和五一年度のものとほぼ同様である。そして、右の賃金引上げには、定期昇給とべ―スアップ分の両方が含まれている。なお、本件八〇パーセント条項における稼働率とは、前年一年間の稼働時間の所定労働時間に対する割合をいうものである。また、上告会社の昭和五一年における年間所定労働日数は約二七〇日であつて、稼働率八〇パーセントの従業員の年間稼働日数は約二一六日である。

5  上告会社は、本件八〇パーセント条項の適用に当たつて、稼働率算定の基礎となる不就労に、欠勤、遅刻、早退によるもののほか、年次有給休暇、生理休暇、慶弔休暇、産前産後の休業、育児時間、労働災害による休業ないし通院、同盟罷業等組合活動によるものを含めて稼働率を計算し、原判決が引用する第一審判決別紙請求債権目録1、2記載の各被上告人につき昭和五一年度の賃金引上げに際し、同目録3記載の各被上告人につき昭和五二年度の賃金引上げに際し、同目録4記載の各被上告人につき昭和五三年度及び昭和五四年度の各賃金引上げに際し、それぞれ前年の稼働率が八〇パーセント以下であるとして、その賃金引上げ対象者から除外し、各賃金引上げ相当額及びそれに対応する夏季冬季各一時金、退職金を支払わなかつた。

二  原審は、右事実関係の下において、本件八〇パーセント条項は、稼働率算定の基礎となる不就労の原因を問わず、欠勤、遅刻、早退等労働者の責に帰すべき原因によるもののほか、年次有給休暇、生理休暇、産前産後の休業、育児時間、労働災害による休業ないし通院、同盟罷業等労働基準法(以下「労基法」という。)又は労働組合法(以下「労組法」という。)において保障されている各種の権利に基づく不就労を含め、あらゆる原因による不就労を全体としてとらえて前年一年間の稼働率を算出し、それが八〇パーセント以下となる者を翌年度の賃金引上げ対象者から除外するという内容のものであるとしたうえ、同条項は、労基法又は労組法上の権利を行使したことに対し不利益を課すことにより、実質的に上告会社の従業員に対し右各権利を行使することを抑制する機能を有するものであつて、全体として公序に反し無効であると判断した。

三  本件八〇パーセント条項の内容についての原審の右判断は、前記の同条項が提案されたいきさつ、その内容についての上告会社の説明、同条項妥結に至るまでの上告会社と日シ労組との交渉経過、上告会社における同条項適用の実際等に照らし、是認することができるが、同条項を全体として公序に反し無効であるとした判断については、これを是認することができない。その理由は、次のとおりである。

従業員の出勤率の低下防止等の観点から、稼働率の低い者につきある種の経済的利益を得られないこととする制度は、一応の経済的合理性を有しており、当該制度が、労基法又は労組法上の権利に基づくもの以外の不就労を基礎として稼働率を算定するものであれば、それを違法であるとすべきものではない。そして、当該制度が、労基法又は労組法上の権利に基づく不就労を含めて稼働率を算定するものである場合においては、基準となつている稼働率の数値との関連において、当該制度が、労基法又は労組法上の権利を行使したことにより経済的利益を得られないこととすることによつて権利の行使を抑制し、ひいては右各法が労働者に各権利を保障した趣旨を実質的に失わせるものと認められるときに、当該制度を定めた労働協約条項は、公序に反するものとして無効となると解するのが相当である。これを本件八〇パーセント条項についてみるに、同条項における稼働率算定の基礎となる不就労には、労働者の責に帰すべき原因等によるものばかりでなく、労基法又は労組法上の権利に基づくものがすべて含まれていることは、前述したとおりである。また、本件八〇パーセント条項に該当した者につき除外される賃金引上げにはベースアップ分も含まれているのであり、しかも、上告会社における賃金引上げ額は、毎年前年度の基本給額を基礎として決められるから、賃金引上げ対象者から除外されていつたん生じた不利益は後続年度の賃金において残存し、ひいては退職金額にも影響するものと考えられるのであり、同条項に該当した者の受ける経済的不利益は大きなものである。そして、本件八〇パーセント条項において基準となつている八〇パーセントという稼働率の数値からみて、従業員が、産前産後の休業、労働災害による休業などの比較的長期間の不就労を余儀なくされたような場合には、それだけで、あるいはそれに加えてわずかの日数の年次有給休暇を取るだけで同条項に該当し、翌年度の賃金引上げ対象者から除外されることも十分考えられるのである。こうみると、本件八〇パーセント条項の制度の下では、一般的に労基法又は労組法上の権利の行使をなるべく差し控えようとする機運を生じさせるものと考えられ、その権利行使に対する事実上の抑制力は相当強いものであるとみなければならない。

以上によれば、本件八〇パーセント条項は、労基法又は労組法上の権利に基づくもの以外の不就労を基礎として稼働率を算定する限りにおいては、その効力を否定すべきいわれはないが、反面、同条項において、労基法又は労組法上の権利に基づく不就労を稼働率算定の基礎としている点は、労基法又は労組法上の権利を行使したことにより経済的利益を得られないこととすることによつて権利の行使を抑制し、ひいては、右各法が労働者に各権利を保障した趣旨を実質的に失わせるものというべきであるから、公序に反し無効であるといわなければならない。

なお、前記の本件八〇パーセント条項妥結に至るまでの上告会社と日シ労組との交渉経過等に照らすと、本件八〇パーセント条項のうち、労基法又は労組法上の権利に基づく不就労を稼働率算定の基礎としている点につき右の理由により効力を否定された場合に、その残余において同条項の効力を認めることは、労使双方の意思に反しないとみることができる。また、本件八〇パーセント条項は賃金引上げ対象者から例外的に除外される者を定めたものであつて、本件各賃金引上げに関する協定における賃金引上げの根拠条項と不可分一体のものとは認められないから、本件八〇パーセント条項の前記の一部無効は、右賃金引上げの根拠条項の効力に影響を及ぼさないと解される。

四  結局、本件八〇パーセント条項を全体として公序に反し無効であるとした点において、原審の判断には法令の解釈適用を誤つた違法があるものといわなければならず、右違法は原判決の結論に影響を及ぼすことが明らかであるから、論旨はこの点において理由があることになり、原判決中上告人敗訴部分は、その余の論旨について判断するまでもなく破棄を免れない。そして、本件については、個々の被上告人らに係る未払賃金等請求権の有無等について更に審理を尽くさせる必要があるから、これを原審に差し戻すこととする。

よつて、民訴法四〇七条一項に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 四ツ谷 厳 裁判官 角田禮次郎 裁判官 大内恒夫 裁判官 佐藤哲郎 裁判官 大堀誠一)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例